東のはずれ

パリ ✈︎ クラクフ

 15時頃のフライトに向けて、朝9時頃に起床する。オーナーのリーさんはすでに朝ごはんを食べ終わっていた。昨日と同じように、乾いた白ごはんと目玉焼きを少しいただき、10時過ぎには白い門を出る。おそらくだがこの白米は昨日のものであろうと推測できる。

 リーさんはやや頑固そうだが、悪い人ではない。たぶん自分なりのしっかりとした考えをもった自立した人なんだろうと思う。でないとアジア人がパリで生活するのはかなり難しいことのように感じる。

 さて、今回の移動もライアンエアである。あのド田舎プレハブ空港にバスで行くべく、ポルトマイヨ広場までの行き方を考える。

 なぜかわからないが、もう一度シャンゼリゼ通りを歩きたくなったので、コンコルド広場までメトロで行くことに。シャンゼリゼ通りはコンコルド広場から凱旋門に向かって途中大きな交差点を挟んで一直線に伸びている。

 コンコルド広場といえば、フランス革命のときにルイ16世とマリーアントワネットが処刑された場所として有名である。

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コンコルド広場のオベリスク

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広場から伸びるシャンゼリゼ通りを歩き、

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ブランド店を横目におなじみのペンギンさながらの姿で颯爽と歩く。

 来た時に立ち寄ったPAULの店の前を通り過ぎ、さらに凱旋門も通り過ぎる。気分は凱旋し、束の間の休息をしたのちに、すぐに次の遠征に向けて旅立つナポレオン。
 ここではっとした。いつの間にか気分が凱旋したことになっていた。凱旋門の魔力に必死に対抗していたが、知らぬ間に屈していたようである。恐るべしパリ。

 凱旋門を超え、さらに直進し、ポルトマイヨ広場に到着。コンコルド広場から30分以上は歩いたので疲れた。
 バスのチケットを購入し、すぐに出発するバスに乗り込む。お世話になった人たちのことを思い浮かべながら車内での時間を過ごす。

 ボーヴェ空港は相変わらずのプレハブぶりであった。これを空港と呼ぶのは詭弁にもほどがある。

 さあ、ライアンエアお得意の荷物チェックの時間がやってきた。カウンターにはおそらくライアンエアの新入社員であろう若い男性が、教育担当のおじさんとともに座っている。普段ならずさんなライアンエアの対応だが、研修教育の意味もあるのだろう、ネットに書かれた手順通りに手続きが進められているようだ。

 私は思う。「絶対重量オーバーしてるやん、、、」

 カウンターから少し離れ、バックパックに詰まっている服を着込めるだけ着込み、さらにはガイドブックを腰に挟み、重量を大幅に減らす(ごまかす)ことに尽力する。そんなことを気にもとめず、愚かな新人は所定の手続きに基づいて、荷物の大きさ、重さをはかり、それに対して私は日本で印刷してきたボーディングパスとパスポートを見せ、何事もなく手続きを完了する。そして私は着込んだ服と地球の歩き方をバックパックに戻す。

 来た時と同じように飛行機に乗り込み、来た時と同じように飛行機が出発する。来た時と同じように到着の音楽が流れる。
 ただ、今回の乗客は拍手をしなかった。

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クラクフ(ポーランド)の空港

 私が選んだのは、おそらく日本人にはポピュラーであろうドイツでもイタリアでもオランダでも北欧でもない、ユーロ圏ですらない、ヨーロッパの東の外れ。

 通貨はズロチで、1ズロチ=約30円。

 ポーランド、クラクフといえば、アウシュヴィッツ強制収容所のある場所。多くのユダヤ人がナチスによって迫害されたことを象徴する施設。象徴というよりもむしろ現場。ここを見ずに世界の歴史を語れるのだろうか。

 また、クラクフは日本でいう京都のような都市で、第二次世界対戦の戦火を免れた、歴史の残された街だそう。京都在住の身にとってはいささか親近感が湧く。

 飛行機を降り、空港内に入り、手持ちのユーロをズロチに両替する。かなり小さな空港で、大阪の伊丹空港よりも小さい。ボーヴェ空港よりは大きい。17時前頃に到着したので、あたりは暗くなり始めている。今にも雪が降りそうな天気だ。

 私が持つガイドブックにはポーランドの情報が一切のっていない。街全体の地図もない。言語もわからない。手元には宿泊するホステルからの確約メールと、その周辺1キロ圏内の地図しかない。ただバスで市内まで行かなければならないことは明白である。

 バス停の場所を突き止めるも、バスの切符の買い方がわからず戸惑う。2台あるうちのもう一つの自販機では同様に、タイから来たという男性が戸惑っていた。私は近くの別の男性に声をかけ、切符の買い方を尋ねる。しかし彼もわからないという。その男性はポルトガル人だった。そりゃわからんだろう。さらにフランス人が買おうとしているが、やはりわからない。私も含め、4人が言う。

「お手上げだ。」

 わからないので先ほどのポルトガル人男性が、適当に切符を買っているのを見て、その真似をする。いくらだったかもわからない。わからないが、300円もしなかった気がする。

 1時間弱で市内らしきところに到着。バスの乗客たちは各々の宿泊先、もしくは家に向かう。一方、宿泊先が今いる場所からどの方向にあるかもわからない私は途方にくれる。そこで、近くを通りかかった老夫婦に道を尋てみた。宿周辺の地図を見せ、ここに行きたいと指で示しながら英語で言う。彼らは実に親切に教えてくれた。しかし問題は彼らはポーランド語しか話せないことだった。だから私には何を言っているのか理解できない。

 後で調べたことであるが、ポーランドでは若者以外はほとんど英語が喋れないらしい。
 彼らは必死に説明をしてくれる。だが、得ることができた情報は、目の前のおおきな建物は「ガレリア・クラコフスカ」という名前だということ。それ以外は皆目わからなかった。ありがとうと言ってその場を離れ、とりあえず先に進む。先に進んでいるかは定かではない。

 時間が遅かったせいもあるが、クラクフの街には寂しげな雰囲気が漂っている。

 次は若い女性に声をかける。あっけなく、ここの人間じゃないからわからないと言われる。

 おばちゃんに声をかける。またもポーランド語だ。

 ふう、いよいよめんどくさくなってきた。ロケみつで宿が見つからないさきちゃんと自分を重ねてみる。そろそろ救世主が現れてもいいだろうと。

 若い男性に声をかける。
 するとその男性は流暢な英語で、どのトラムに乗ればいいのか、どこで降りるのかを教えてくれた。切符の買い方も教えてくれた。予定通りの救世主だ。世界はこうやって成り立っているのだと実感する。ありがとうと言って、トラムを待つ。

 腹が減った、、、

 やってきたトラムに乗り込み、しばらくするとスーパーの前に通りかかる。トラムはそこで停止する。
 そういえば昼ご飯を食べていない。宿の近くにレストランがあるかもわからない。私は気付いたら降りて、スーパーに向かっていた。そのスーパーにはパン屋が併設されていた。

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スーパーの中

 ケーキのような菓子パンが1.19ズロチ、つまり約36円。安い。ポーランドの物価は安い。
 2つ買って、スーパーを出る。しかもうまい。先ほどのトラムの駅に地図があるのを見つける。

 私はホステルからの予約確認メールの印刷をしたものを広げてそこに載っている地図と、看板の地図を照らし合わせる。ようやく場所がわかった。歩ける距離だ。20分ほど歩き、目当てのホステルに到着する。時刻は21時を回っている。
 ホステルでは私の到着を待ちわびていたかのように、ウェントワース・ミラーに似たイケメンのお兄さんが迎えてくれる。彼はとても英語がうまい。ようやく安心できる。

 今回の宿泊先は「ARS HOSTEL and BAR KRAKOW」5泊で113ズロチ。つまり3390円。安い。ポーランドの物価は安い。

 バーが併設されているので、すすめられたウェルカムショットをくらう。
 今日はゆっくり寝よう。

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宿の近くにあったヴァヴェル城

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宿の共有スペース。暗い。

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