映画の記憶

ポーランド/クラクフ

 「戦場のピアニスト」ほど印象に残り、幾度となく再生している映画は無い。
 クラクフ滞在3日目にして、今回の旅の目的の一つであるアウシュヴィッツ(ポーランド名オシフィエンチム)へと赴く。

 このようにクラクフからはやや距離がある。バスが最も安価というもっぱらの噂なのでバスで行くことを選択。ガレリアクラコフスカの裏手にあるバスターミナルへと向かう。
 窓口でアウシュビヴィッツに行きたいというと、「あーはいはいアウシュヴィッツね」というテンションで切符を手配する係員。片道12ズロチくらいだった。バスは1時間に1本以上は出てるそう。地下にあるバスターミナルでバスがやって来るのを待つ。

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今回乗るバス

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ターミナルの様子

 やってきたのはマイクロバス。バス後方の適当な席に座っていると後から中国人4人組(男1女3)が乗り込んできてそのうちの一人の男が私の顔を見るやいなや、「出身は?」と聞いてきたので、「ジャパン」と答えた。

 それを聞いてすこぶる嬉しそうにする彼の顔を、今でも忘れることができないと言ったら嘘だ。
 するとその男は、さらに後から乗ってきたスペイン人カップルに対し、これまで大学で鍛えてきたのであろうスペイン語を容赦なく浴びせかけていた。その時のスペイン人カップルの感動した顔も忘れることができないと言ったら嘘だ。
 また、そのうち一人の中国人女性は日本語を勉強しているということで、日本語を上手に使いこなしていた。
 ならばと私が大学で一口ほどかじった断片的な中国語を披露すると「お~!」と喜んでくれていた。と思う。

 彼らは非常に教養のある中国人である。もちろん英語も堪能だ。もっぱら、海外留学をしている中国人は本当に賢い人物が多い。日本人は多くの場合留学に「行くこと」が目的になっている場合が多いらしい。一方彼ら中国人は明確に学ぶ意識を持って取り組んでいることは見てわかる。



 わいわい過ごしているうちに2時間ほどで到着。ここからは単独行動である。

 冒頭で紹介した「戦場のピアニスト」を初めて見たのは中学生の頃だった。ユダヤ系ポーランド人ピアニストのシュピルマンが体験した第二次世界大戦下のナチスドイツの迫害のなかを、多くの人の助けを得ながら生き延びたという話だ。詳しい内容については是非「戦場のピアニスト」を見て欲しい。
 この映画から受けた影響はとても大きい。これがきっかけでショパンを好きになり、これがきっかけで世界史にのめり込むようになった。
 ちなみに私はピアノを三口ほどかじっている。この映画で何度か使用されているショパンのノクターン遺作程度であれば、それなりの完成度で弾くことができる(できた)のである。さらにこの映画のハイライトで使用される、「バラード第1番」に憧れて挑戦した結果、見事に砕け散ったという話はあまりにも有名である。
 また、高校では世界史を専攻し、受験勉強に関してはほぼ世界史の勉強に時間を費やしたと言っても過言ではない。
 そんな知識も全ては映画で見たこと、教科書で勉強したことにとどまるものであり、現場でなにが起こっていたのかはここに足を運ばないと実感できないことである。
 ちなみにアウシュヴィッツ強制収容所内の見学は無料。ガイド付きであればいくらかかかるらしい。ここの空気を感じることができればいいと思い、ガイドなしでふらふら気ままに歩くことにした。



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働けば自由になれるそうだ

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冬のアウシュヴィッツは一層悲しげである

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なんとしても逃さないというところだろうか

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このように膨大な資料が展示されている

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世界史の教科書にも載っている写真

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こんなに狭苦しいところに押し込められていたらしい

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人々のカバン

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抵抗してもしなくてもここで射殺される

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毒ガス室

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焼却炉

 その場にいるだけで聞こえてきそうな人々の悲鳴が、頭のなかを駆け巡る。もし自分がこの時代にユダヤ人として生まれていたらなどと考えると恐ろしい。普通の日常生活が、突如として悪夢に変貌するのだから理不尽傲慢極まりない。

 しかしこういうものは少々冷たい言い方かもしれないが、自分が経験しないことには自分ごとに思えないものである。私たちが普通に生活していても、このような苦しみはあくまで他人事の域を出ないことが多い。その人々の苦しみに理解を示すには、少なからずこのような場所に直接赴くことが大事であって、それが今の自分にできる最大の努力である。

 それでも歴史は繰り返す。いつになれば全人類の思想は平和へと向かうのか。

 気が付けば15時を過ぎていたので、収容所を後にしてバスに乗り込む。行きとは違い、帰りのバスは静かだった。

クラクフに着くと17時頃で、完全に日が暮れていた。アウシュヴィッツで蓄えた負のオーラを取り払うべく、ガレリアクラコフスカで気分転換をする。



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ガレリアクラコフスカ初登場である

履いてきたスニーカーがもはや雪や泥にまみれて腐りかけていたので、プーマショップに立ち寄り、あたたかいブーツを購入した。雪道を全く気にせずに歩けるようになったことでストレスが大幅に軽減された。

ガレリアクラコフスカにはスーパーも入っている。うまそうなでかいソーセージが売ってあったので今日の晩御飯はソーセージを焼くことにした。クラクフでは今の所、スーパーで全ての食料を調達しているため、ものすごく節約できている。

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近くにスケートリンクがあった

 充実した1日を過ごし、新しいシューズが快適なのでトラムを使わずに歩いて帰る。
 しかし途中で異変に気付いた。まさに不測の事態である。
 こんなことになろうものなら、もう少し吟味しても良かったはずだ。
 今後の旅の続行に支障をきたしかねない。

 ともあれ何を言っても仕方がない。

 たろゑもんは、

 靴擦れした。

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