何者にもなりたくない。

 こんにちは。大変ご無沙汰しております。

 放し飼い状態を極めていた当ブログですが、久方ぶりの更新に私自身どぎまぎしており、文字を打つのもままならず、もう現時点で挫折しそうですが、これまた久方ぶりに色々と思うところがあったので、執筆活動を再開することにしました。

 最近私の好奇心の迷走っぷりは以前よりも輪をかけて混沌としており、自分でも自分を上手に乗りこなせているとは言えません。
 プログラミングを勉強しだしたかと思えば、世界の宗教事情に興味を持ったり、会社の仕事に没頭しだしたかと思えば、不労所得が欲しいと株式投資をしてみたり、小説を読みだしたかと思えば、漫画キングダムにはまったり、挙句の果てにはワイルドスピードシリーズを改めて全話見直し、単細胞化に拍車がかかっています。

 この状態を一般的には、良く言えば好奇心旺盛!悪く言えばブレブレ!なのだそうです。

 そうして「最近こんなんやってんねん」と周囲に言うと、周りからは「何を目指してるの?」とか「何になりたいの?」などと言われ、その度にお茶を濁しに濁してきました。もうこれ以上濁りません。

 そう言えばよく就活の時に、「自分はどうなりたいか?」って一生懸命考えたりしていたっけな。「どうなりたいか」を決めることが仕事選びの基準になり、人生充実のための必需品なのだと思っていました。

 うーんでも当時はそうやったけど今はなあ、、そんなことを考えていると、ある一つの詭弁にたどり着きました。

 それは「何者にもなりたくない。」

 世間では一握りの人生成功している(ように見える人)が、たまたま目標に対して頑張っていただけで、それが表向きには正解のように見える。
 一方で、人生充実している人の中には目標も特になく、気楽に過ごしている人もいる。

 ちょっと待てよ、と。
 何かをやるからには何かを目指さなあかんのかいな、と。
 その時々で面白そうなことに手を出して、飽きたらやめたらあかんのかいな、と。
 そんなことを繰り返して死ぬ人生があってもええんとちゃうんかい、と。

 この詭弁は「どうなりたいかと聞かれてもどうなりたいかわからへんわい!知るか!」と言う時にお使いください。

 要は何者にもならない人生があってもいいと思うんです。人が理想だとする人生が自分にとっての理想ではないように。目標を高く持たないといけないとか、夢がないとダメだとか、キャラを定めないといけないとか(笑)、そんなことはないはずです。

 「何者にもならない」ということがある意味自分にとっての人生の目標であって、それが人生を充実させるという目的にかなっているのであればそれで良いです。むしろ極端にいうと人生充実してなくてもいいでしょ(それでいいなら)。

 だからどうなりたいかとかそんなめんどくさい質問に対しては「何者にもなりたくない!」と答えることにしました。
 もう伝家の宝刀です。切れ味抜群の妖刀です。

 ちなみに何者にもなりたくないので前言撤回もお茶の子さいさいです。そのうち目標を持たなければならない!と豪語しているかもしれませんが、お気になさらず。

 皆さんも好きに気楽に生きていくのがいいですよ。無理しなくっても死にませんから(たぶん)。

 では御機嫌よう。

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  1. 松岡だよ より:

    この記事ええわあ。染みる。

    1. taroemon より:

      でしょう。
      みんなの気持ちを代弁したよ。(笑)

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