アルヘシラス→タンジェ
紙風船の布団も、寝る前こそ心地悪く感じたものの、ひとたび眠りに落ちればそんなものは関係なかった。生きている間はいろいろ面倒くさいことも多いが、死んでしまえば関係ない、ということと同じだろうか。そんなことを軽々しく口にしてはいけないぞ。
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9時のフェリーを予約していたので、ここぞとばかりに私の中にある0.1%の日本人的感覚を活かして7時半にはターミナルに到着しておくことにした。すぐに出発の支度を整え、宿のロビーに降りるが真っ暗で誰もいない。おそらくまだ眠っているのだろう。物音に反応したのはでかい犬だけで、私を見てひたすら吠え続けてくる。朝っぱらからうるさいやつだ。するとそれをアラームにご主人が起きてきたので、鍵を渡して宿を後にする。なるほど、こういう連携プレーか、と感心した。
予定通りターミナルに到着したものの、人の気配がない。さすがに早く着きすぎたようだ。仕方がないので地球の歩き方を、今まで勉強を怠ってきた高校生が試験前に突然教科書を読み込み出すかのように、入念に読み込んで時間を潰した。
程なくして人がひとり、またひとりと姿を現わす。それにまぎれて明らかにフェリーの乗客ではなさそうな一人の老人が歩いてきた。ターミナルを住処にしている人なのだろうかとか考えてみる。次にスタッフのようなおじさんが現れ、出国カードなるものを乗客に配り、私もそれを受け取った。
するとここで先ほどの老人が本領を発揮する。乗客一人一人に「出国カードを書いてやろう」と尋ねてまわりはじめたのだ。こういうものを見て、「わあ!なんて優しいおじいさんなんだ!」と思ったりしてはいけない。そんなふうに思っていたらモロッコに入国してからが大変だ。彼は出国カードを書くという作業を代理することでお金を稼ごうとしているのだ。だがこれを見て「なんて薄汚いやつなんだ!」と思ったりしてもいけない。彼らアラブ人の中には、貧富の差によってこうでもしないと稼ぐことができないという境遇の人も数多くいるのだ。同情するかどうかは諸君にお任せする。しかし「同情するなら金をくれ」と言われることは覚悟しておいたほうがいい。
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入国カードは英語でも書かれているので誰でも簡単に書き込むことができる。書き終わってのんびりしていると、一人のモロッコ人男性が私に話しかけてきた。
モロッコ人「君はジャパニーズか?」
私「イェスアイアム」
モロッコ人「そうかそうか!俺はジャパニーズが大好きなんだ。礼儀正しくて良い奴
ばかりだ。日本のどこから来たんだ?」
私「京都でござる」
モロッコ人「京都はよく知っているよ!歴史的な街で良いところなんだよな!俺はモハメド。よろしく!」
モハメドは英語もできればスペイン語も話すことができ、もちろん母国のアラビア語もできる。普段はマラガで仕事をしていて、この度子どもが生まれたということで家族の住むタンジェに帰るところだそうだ。彼は非常に穏やかで親切だった。おそらく年齢は30代後半くらいだろう。彼には仕事があるから、私から金を巻き上げる必要もないし、そもそも教養のある人物に悪い奴はいないはずだ。さらに私の書いた入国カードをチェックしてくれたし、カウンターでチェックインをしなければいけないことも教えてくれた。タンジェまでの強い味方を手に入れた私は、彼を2人目の師匠に登録した。
そうこうしているうちにフェリーに乗車の時刻になった。保安検査を済ませ、乗客は続々と船に乗り込んでいく。
船内は非常に綺麗で、映画館のような椅子が並べられている。免税店やカフェもあり、テーブルのある広い共有スペースでは窓から船の外を見ることができる。ちなみに自分の席というものはない。
乗船してからしばらくすると、今度は入国審査みたいなものが船内で行われる。この辺の記憶は曖昧だが、船内にある入国カードを書く必要があったと思う。それらの準備も全てモハメドが手伝ってくれた。程なくして保安官が現れ、その前に列を作って審査を受ける。私の番になり、パスポートと入国カードを保安官に提示した。
保安官「ジャパーニーズ?コンニチハ」
私「コンニチハ!」
保安官「ハイオーケー!」
審査の内容は以上だった。他国からやって来た者はいくつか質問されていたりしていたが、日本人はよほど信頼されているのだろうか、挨拶をしたら審査が終わった。
その昔、スペイン・モロッコ間の海路では麻薬などの密輸が横行しており、その首謀者の多くは中国人だったという。したがって日本以外のアジア人は疑ってかかられるということだった。今でもそのような密輸は、保安官の癒着によって密かに行われているとかいないとか。
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船内では全くすることがなかったので、甲板に出てみたり、免税店を覗いたり、チョリソとパンを食べたりしていた。乗客のほとんどがムスリムだったと思われるので、チョリソを食べることはやや憚れる。
アルヘシラスの街が見える
今日も太陽がご機嫌だ
あれはアフリカ大陸か?と島影が見えるたびに思う
やはり地中海は綺麗だ
ようやくお出ましのようだ
しばらくすると巨大な島影が現れ、それをアフリカ大陸だと判別するのは難しいことではなかった。飛行機よりも船の方がこうして「はるばるやって来た」という感覚が強まる。
そのまま船はタンジェに入港し、待ちくたびれた乗客が一斉に降りる。船に揺られた気分が続き、足元がおぼつかない。
ふと見るとフェリーターミナル内には両替所もあれば、ATMだってある。ほらみろ、両替できるじゃないか。しかしタンジェ市内行きのバスがすぐに出発するぞと、モハメドに急かされたので、両替できずにバスに乗ってしまった。事前情報によればフェリーチケットがあれば市内までのバスは無料とのことだったため、タンジェ市内で両替すればいいかと考えていた。
しかしそのバスで息を潜めていたのか、集金おじさんなるもの突如彗星のごとく現れ、運賃を回収し始めたではないか。両替できなかった私は、ディルハムを持っていないことをモハメドに相談すると、どうやら2ユーロを払えばいいらしい。師匠がいてくれてよかった。
モハメド師匠は車中で、「道案内にはついていくな」「タクシーに乗るときは最初に値段を確認してから、走り出したらメーターを倒しているか確認しろ」「あんまり女の人をジロジロ見てはいけないぞ」などモロッコでの生き方を教授してくれた。やはり持つべきものは師匠、一家に一台師匠である。
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40分ほどバスに揺られ、市内らしきところに差し掛かったあたりで、途中下車する乗客がちらほらいた。するとモハメドも途中で降りてしまい、グッドラックと笑顔で私に別れを告げた。
しまった。どこで降りたらいいのか聞くのを忘れていた私は、降りてしまったモハメドを「ああ、モハメドよ」という気持ちで見つめていた。気づくと私はタンジェのよくわからない場所に置き去りにされていた。
近くには長距離列車ターミナルがあったので、ひとまずそこに行って自分の現在地がどこなのかを確かめることにした。
ちなみに私はすぐさまシャウエンに移動したかった。タンジェはいい噂を聞かないので、振り返ることもせずに出て行ってしまいたかった。また、シャウエンにはバスで行くつもりであったから、まずはバスターミナルを探す必要があった。
駅にたどり着き、腰を落ち着けて事前にオフラインに落としてきたグーグルマップさんを確認した。駅からバスターミナルは1.5㎞ほど離れているようだ。
タクシーで移動すればよかったのだが、運転手が全員不審者に見えるという被害妄想を繰り広げ、私は歩くことを選択した。
暑い。非常に暑い。心なしか太陽が近い。すれ違うモロッコ人が私をジロジロ見てくる。熱い太陽と熱い視線を感じながら、重い荷物を背負い、さらなる被害妄想の大草原の中をよたよたと歩き続け、バスターミナルに到着した時にはすでに椎間板が2枚ほど飛び出していた。
こうして私はタンジェという街から完全に目を逸らし、今回最速で一つの街を素通りすることとなったのであった。
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