カンボジア/プノンペン 2017/4/30
12時過ぎに孤児院を後にし、そこからまた約30分ほどかけてゴミ山と呼ばれるところへと向かう。
孤児院では自ら子どもたちの遊び道具とされることもやぶさかではなかったが、さすがに汗の量が尋常ではない。しかしそれは実にクリーンな汗である。日本では、オフィスにいることで日々出し惜しみしている汗もここぞとばかりに活躍の場を見つけたようであった。
ゴミ山といえば、漂う異臭、高く聳えるゴミの山、眼光の鋭い居住者、ついそんな光景を想像してしまう。
実際内部は無法地帯であるがゆえ、かなり危険であるらしい。個人で迂闊に近寄れるようなところではなさそうだ。
車が進むにつれてだんだんと目に見えるゴミの数も多くなり、道中では畑のようなところに大量のゴミが散乱している様子も見受けられた。
プノンペン中心地にもゴミはいたるところに放置されているのだが、こちらまで来るとさらにひどい。日本ではまるで目にすることができない景色であり、私の部屋に数ヶ月間粛々と溜め込まれたゴミなど比ではない。カンボジア政府もこのゴミ問題には手をこまねいているのではないだろうか。
ゴミ山に到着。中に入れるかどうかの確認をしている様子。
周辺は工場があるだけで閑散としている。
見学の許可がおりました。
むき出しになったゴミ。
ここはゴミの埋め立て地であるようで、想像していたゴミ山とは違っていた。遠くには都会の高いビルが見える。
ゴミ山の奥地にはドラッグをやっている連中たちが蔓延っており、足を踏み入れたものは強盗にあったり、襲われたりすることも日常茶飯事であるとかで、できれば生活の様子も見たかったのですが、今回は軽く覗かせてもらうだけで終わりました。
キリングフィールド付近には埋め立て地ではなく、実際にゴミが運ばれ、捨てられているゴミ山があるようで、次回は是非そこに行って見たいものです。
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ゴミ山を後にし、入り口まで戻り、さてどこでどうやって服を渡せばいいのやらと思案していると、入り口にいた近所のおじさんたちが、周辺に住む人々を集めてくれるとのこと。
しばらく待っていると、さっきまでの閑散とした様子が嘘のように、どこからともなく子どもたちの大群が押し寄せ、その光景はまさに壮観であり、カンボジア人口増加率の脅威を思い知った。
みんなゴミ山を取り囲むようにして住んでいるよう。
この時点では正直全員分賄えるほどの服は所持しておらず、渡せない子が大半だったのだが、赤ちゃん用の服や、大人向けの服を中心に渡して行く。
このお母さんのお腹には新たな生命が宿っていたので、その新たな生命に我々の服を捧げた。
この小さい方の子は素っ裸でやってきていた。日本なら猥褻物陳列罪でお咎めを受けていたであろうから、私は何事もなかったかのようにそっと服をプレゼントし、その場で着せた。彼はわけも分からずそれを受け入れた。
全員に服を配ることは叶わなかったが、またしても私は子どもたちの遊び道具としての機能をいかんなく発揮し、汗水を垂らしていた。
今回の目的である一人一人にきちんと一枚ずつ服を渡す、という趣旨は完全に崩壊し、最後にはええい全部持ってけい!とまとめて渡してしまったのだが、もはや仕方あるまい。これだけの数の子どもを相手に、きちんと渡すという行為は困難を極めることがわかった。ともあれなんとか全ての服を渡し終えることができ、安堵した。
このようなゴミ山周辺で生活する人たちはどのように生計を立てているのだろうか。ましてやこんなにたくさんの子どもたちを抱えて。服を渡すことは簡単だが、もっと彼らの生活を知って、役立てるように努めていかねばならないと思った次第でございます。
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これにて第一回TAGBOAT衣類寄付活動は完結。通訳や諸々の手配をしてくれてアチョさんと運転手さんには感謝以外の言葉が見つからず、また次回カンボジアで活動を行う際には是非お手伝いいただきたいです。
そうしてしばらくの達成感に打ちひしがれつつ、私たちはまた夜のプノンペンの街へと繰り出し、ひそやかに打ち上げを行った。
そして終始「素であることとはいかなることか」という話題に花を咲かせ、「得意の角度の写真ばかりを載せることはいけない」というわけのわからない結論に至った。